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長年高校の英語教員をしている。教科書に広島の原爆を取り扱ったものが多かったのはかなり前になると思う。佐々木貞子さんが2歳で被爆し、12歳で白血病を発病し病院で鶴を折って回復を願いながらも亡くなっていく実話だ。広島には原爆の子の像という彼女がモデルの記念碑があり、広島への修学旅行では生徒と一緒になって千羽鶴を折り、その碑に祈りささげたものだった。時は流れ、修学旅行地も長崎から沖縄へと移って行った。生徒さん達に「さだこ」と言えば。映画「リング」を思い出す方が、ほとんどの時代になっていた。商業高校へ勤務した時には、バレー部員が必勝祈願として野球部員のために千羽鶴を折っていた。「佐々木貞子さんの願い」は若い人にはだんだん遠くなるのだろうかと思っていた。それが昨年の東北大震災と原発事故で放射能の恐ろしさがクローズアップ再認識された。今年は久しぶりに1年生を担当している。教科書に「佐々木貞子さん」が再び登場した。英語で鶴の折り方も書いてある。クラス全員で英語の本文全部を暗唱した。そして英語の鶴の折り方も暗記暗唱し、実際にペアを組んで、英語で指示を出しながら鶴を折ってみた。一人2羽ずつ折り、1羽には日本語で、もう1羽には英語で平和への願いをそれぞれが書いた。担当の2クラスは進学を念頭に置いた特別クラスなので、他のクラスと歩調を完全に合わせる必要もなく、思い切って7月の期末テスト前に実施した。JAM本部・国民運動チームへ送れば、今夏のヒロシマ平和集会で奉納してくださるという。

「折り紙と送料は先生が出すからやってみよう。」という呼びかけに82人は乗ってくれた。50羽1組なので、あと18羽はボランティアを募るか、私が折ろうと思う。束ねるのも誰かに頼むか、私がやろう。もうすぐ54歳を迎える私は、本当に教え子さんたちを戦地に送りたくないと思うようになっている。わが子2人が成人し、夫と2人暮らしのせいか、生徒さんが我が子のように思える。平和への祈りを何かの形にしていきたい。